小川順二さんの作品

ハンガリー 音楽の旅…ハンガリーで見たこと、考えたこと…

ブダペスト『第九』の夜

季節が日本より1ヶ月程先を行く秋たけなわの9月22日、ブダペスト・ドナウ河畔にある『バルトーク国立コンサートホール』の2階ステージにいた。
 ラッキーなことに『ヨーロッパ音楽友好の旅』に参加することができ、今日はそのメイン・イベントの日だ。
 ここは2005年に建てられた、ハンガリーで最高級の音楽ホール。ここでウィーン岐阜合唱団が、ハンガリーを代表するMAV交響楽団、ユースコーラスと一緒に《日本―マジャール 友好コンサート》を行う。
 連れ合いと私は、白黒の正装・蝶ネクタイを着けて舞台に立つ。ずぶの素人にとって、これは驚くべき出来事だ。


ドナウ川から見る、国会議事堂


   夜7時過ぎ、遅い入場が始まる。
 "お客さんは来るのか来ないのか?"
 "賭け"は◎と出た。およそ1,600名収容のホールがほぼ満席になる。
 オーケストラの上のバルコニーに、ユースコーラス49名 岐阜34名が並んで座る。中欧特有の心臓が止まるくらい美しい女性や背丈2mほどもある男性に囲まれて、少なからず緊張する。
 第一楽章が始まる。素人耳にもオーケストラの音響がすごい。
 第三楽章。平和でゆったりとした《天国的な花園》は、眠りをも誘う。指揮者の正面で微動だにせず座り続けるのは辛い。ところが隣に座ったハンガリーのリーダー氏は、指でリズムをとったりして‥‥、流石である。
 管楽器のティンパニーの強烈な不協和音で始まる第四楽章は、「♪フロイデ」に一直線だ。ソリストたちの独唱(重唱)が続く。澤脇先生・伴先生も素晴らし いが、ハンガリーのソプラノとテナーさんの声が尋常でない。広い会場にとてつもない声が響き渡る。


開演前のバルトーク・ホール

 

黒カバーの楽譜を落とさないように気を付けながら、一斉に立ち上がる。人の限界を超える高音部や二重フーガに挑み、やがて"人世"を超えて"神の領域"へと突き進む。
 飛びはね蹲(うずくま)るように平光先生の指揮が終る。一斉に歓声と手拍子が渦巻き‥‥、これは何とも言えない《感動の瞬間(とき)》だ。

 その日の夜、演奏会の余韻が冷めやらぬ中、打ち上げパーティーが開かれる。皆の口からは「聴衆の熱心に聴く姿が印象的で、ハンガリーの文化(音楽)水準の高さを目の当たりにした感じだ!」などという声が溢れる。
 次の日、KさんとNさんからこんな話があった。
 リスト音楽院のオンサイ教授から「(とてもいいものを聴かせて頂いて)幸せでした」とのメッセージがあったこと。世界的ピアニストのシャンドール氏から「平光(の指揮・曲)は素晴しい、どういう人か?」と賛辞があったこと。
 チェリストの橋本氏からは「(よかったです)、心を揺さぶる音楽とはどういうものかということを、いろいろ考えました」と長いメールが届いたこと。
 ヴェスプレームへ向かうバスの中でこんな話を聞いた時、期せずして大きな拍手が起こった。みんなを"幸せ"にする、とびっきりの朗報だった。

ブダペスト到着・・・

 ヘルシンキから空路ブダペストに入ったのは、9月19日の夜だった。
 この地は丁度20年前、竜巻のように通り過ぎたことがある。しかし、その時はせいぜい"下見"だった。またいつか《本番》が来るのだろう、と。
 今回がその《本番》なのかも知れない。絶好のチャンスだ。今まで縁の無かった(クラシック)音楽の世界、中世というクールな世界、現代史における"中欧"といったものにも目を向けよう。期待は広まるばかりだ。


日本人とのハーフ ビダさん。素晴らしい日本語、豊富な知識に感服しました。

ブダペストの夜は幻想的だった。照明は全体的に暗く、けばけばしいネオンサインは少ない。電球のやさしい光が、間をあけて点在している。
 巨大な暗闇に《中世という恐竜》が棲息しているかのようにみえる。
「ここは日本じゃない、異国なんだ」と思うと、妙に感動する。
 ブダペストは石の街だ。重厚さと気品を合わせ持つ魅惑の街。前回訪れた時の印象だ。その憧れにも似た記憶は、今回も違(たが)わなかった。
 英雄広場からアンドラーシ大通り、くさり橋からドナウ川・王宮・マーチャーシュ教会に至る歴史地区(ユネスコの世界遺産)など「オゥ オゥ オゥ」の連続で、デジカメを撮り始めたらシャッターを休める暇がない。
 これはブダペストに限ったことではない。後に訪れる街や観光地も同じことだ。「こりゃ~、イカン!御上(おのぼ)りさん気分でいると『スゴイものの上っ面を見た(・・)だけ(・・)』ということになってしまう!」と自戒したのだが(苦笑)‥‥。

ブダペストの東駅

 朝食のあと街に出る。ジャンパーやコートを着た通勤者が足早に往き交う。
 10分ほど歩くと、ブダペストの東駅があった。路地裏は日本同様、結構汚れている。新聞やタバコの吸い殻・ゴミ袋が転がり、女性を含めて歩きタバコの人も多い。工場現場を仕切るベニヤ板は、魚の鱗のようにささくれ立っていて質が悪い。
 「アレ~?!これ、どこかで見たことがある!」‥‥それが何なのか気付くのに時間は掛からなかった。
 「そうだ!私が青年であった頃の名古屋駅・岐阜駅周辺だぁ~」
 こういう生の姿も私は好きだ。ブダペストが大聖堂や観光地のように洗練された景観ばかりだったら、けっして生活感のある《ドナウの真珠》にはならなかっただろう。

 東駅構内に入る。改札が無いのにホームに入ることができる。階段を上がると、広いコンコースに出る。
 高低差の低いプラットホーム・高いかまぼこ型の丸天井‥‥「あっ!これは既視感(デジャビュ)がある!」‥‥。映画『ひまわり』のエンディングに使われ た駅に雰囲気が似ている。ソフィア・ローレンが一言も言葉を交わすことなく別れるシーンを思い出しながら、何故かむちゃくちゃ嬉しくなった。

 
風格のあるブダペスト東駅                      映画『ひまわり』を思い出しました

 

聖イシュトヴァーン大聖堂と帽子

 その巨大で威厳のある教会に入ると、厳つい制服を着た守衛さんから「帽子は取ってください!」と注意を受けた。私は意味が解らぬまま帽子を取って、「ソーリー」と謝る。
 ところが、すぐ前の女の人は深々と大きな帽子を被っているではないか。「これはヘンだ!」と思いながらも黙っていると、Mさんが親切に教えてくれた。「女性の帽子は服装(身なり)の一部だけど、男性は異物と見なされるのですね(笑)‥‥」


高さ96m、8500人収容の聖イシュトヴァーン大聖堂      マーチャーシュ教会の主宰祭壇

ともあれ、キリスト(宗教)は強い。政治・経済は勿論、音楽・文化・科学、生活から人の心まで、圧倒的な影響力を持っている。日本とは大違いだ。
 ウィーンに向かうバスの中で、添乗員さんが話していた。「‥‥どんな小さな村にも教会があり、教会があればその周りには必ず酒場(バー)があります(笑)‥‥」それほど生活の中に沁み込んでいる、ということだろうか?

"民俗舞踊"とシャガール

 ドナウ川クルーズの後、レストランで音楽と踊りの夕食会があった。
 白シャツに黒ズボン、黒のチョッキに山高帽の男性ダンサー‥‥。
 日本では珍しい色合いの、赤茶けたスカートにモスグリーンのベストを着た女性ダンサー‥‥。山高帽の上に太めの"ビール瓶"を乗せて、バランスを取りながら踊るおどり‥‥。


オレンジとモスグリーンが印象的

若い頃観たミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』を思い出す。娘の婚礼で繰り広げられるユダヤ人コミュニティーの歌と踊り‥‥。
 岐阜に帰って早々、『シャガール展』に行った。岐阜県美術館が開館30周年記念として、《マルク・シャガール―愛をめぐる追想》を開いていたのだ。
 彼の作品には、"バイオリン"とか"街(屋根)の上を歩く(飛ぶ)"とか"故郷ヴィテブスク"といったものをモティーフにしたものが多い。
 《バイオリン弾き》には、文字通り"屋根の上のバイオリン弾き"が描かれているし、ヴィテブスク(現ベラルーシ共和国)の村は、旅の中で見たハンガリーなどの村に酷似している。
 帝政ロシアからロシア革命、第二次世界大戦とユダヤ人の受難、戦争の歴史と今年度のノーベル平和賞(EU)‥‥。エキゾチックなジプシー音楽や民俗舞踊は、私をシャガールや現代史にまで引き連れて行ってくれる。

ヴェスプレームの朝焼け

 『第九』演奏会の翌日、ブダペストを発ってヴェスプレームに向かう。北海道を思わせる広大な土地に、干ばつで枯れたトウモロコシ畑が延々と続く。
 ヴェスプレームは、中世の面影が色濃く残る、人口7万人の街だった。到着早々、ギゼラホテルのすぐ側にある高台に案内される。案内者は、今回のハンガリー旅行のお世話をした森田さんの夫君(ハンガリー人)だ。

 断崖からは、息を呑む風景が広がる。眼下の赤茶色の瓦屋根、サンタクロースが入れる四角い煙突、奥まった木枠の窓、見渡すと3つ4つの先の尖った教 会‥‥。路地には放し飼いの犬が遊び、三輪車に乗った子どもが駆けっこをしている‥‥。「あぁ~、できたらこんな生活がしたいよなぁ~」と誰かがつぶや く。

                 お伽の国のような‥‥               日本語で「ほたるこい」も歌ってくれた
 

夜は地元の合唱団との交流だ。18人の女性が柔らかなハーモニーを聞かせてくれる。
 お返しは澤脇先生の『♪荒城の月』、伴先生の『♪復興讃歌』(マジャール語)、『♪アヴェ・ヴェルム・コルプス』、『乾杯の歌』など。お互い言葉は分らなくても、気持ちのいい時間を共有する。
次の朝、もう一度高台に登ってみる。早朝からの散歩の人たちに出合う。「おはよう」というと、にこやかに「ヨーレッゲルト」と返事が返ってくる。神々しい朝焼けのように気分爽快だ。

国境の町ショプロン

 ヴェスプレームからウィーンへ向う途中、中世都市ショプロンに立ち寄る。オーストリア国境から約6km、ハンガリー領土がオーストリア側に大きく張り出した街だ。


石畳・パステルカラーの魅力的な街

この辺りは前回にも通ったはずだ。20年ぶりにアルバムを開いて見る。
 1992年、ショプロンの北東の検問所を通過していた。枯れた原っぱに背の低い検問所・整備の悪い飛行場のようにひびの入ったコンクリートの道路。
 東欧諸国の大変革の中で、高電圧の有刺鉄線が取り払われたオーストリアとの国境線が遠望できる。

 ショプロンは、東西冷戦の象徴であった"鉄のカーテン"に"穴をあける"事件(=『ヨーロッパ・ピクニック計画』)があったところだ。
 森田さんに尋ねてみる。
 「‥‥ショプロンって"ピクニック計画"のあったところですよね?」「そうですね、当時のハンガリー政府の対応はとてもしっかりしたもので、尊敬に値す るものでした‥‥」「そのモニュメントがあるはずですが‥‥」「ええ、 それはここから少し外れた郊外にあるんです。残念ですが、今日はそこへは行きませ ん‥‥」
 国境に向かうバスの中で彼女は、夫の先輩が"門"の遮断機を開けた責任者であったとの話をしてくれた。

 ハンガリーでの国境検査は無くなっていた。わずか20年前、ここを通過するにはビザが必要であったし、検問もあったのに‥‥、隔世の感がある。
 ここでハンガリーとはお別れだ。人のいない検問所跡地を、バスはノン・ストップで通り過ぎる。

 いつの間にか、ハンガリーとそこに住む人たちが大好きになっていた。