高桑明さんの作品

ハンガリー縦断ドナウ川サイクリング日記

まえがき

 国道2号線に着いた。これでオーストリアとハンガリーの国境へ行けると安堵する。サイクリング道がドナウ川から離れ国境の町Rajkeを通過することに なっている。ドナウ川から離れる場所にあった、休憩所でマスターに道を確認するためにビールを注文する。マスターは客とビールを飲みながらお喋りに夢中 で、相手にしてくれない。Rajkeへ行く道が持っているドイツ発行のドナウ川サイクリングマップと変わっている。迷子状態になった。マップの発行年の記 載もないし、購入してから7年くらいになるので、ドナウ川に沿った道は変わっていなくても、東欧の国々も発展していて、道路も整備され変わっている。国道 2号線に出れば良いことは分かるので、兎に角西に向かう。暫く走ると遠くに沢山の車が南北方向に走っているのが見える。あれが2号線だと、ペダルをこぐ足 に力が入る。2号線を南下すれば、オーストリーとハンガリーの国境に行ける。スロヴァキアに一度入っていたのに、どこかでオーストリーに戻っていたことに なる。国境には検問所の施設が残っていた。今は自由に出入りして用もない施設である。撤去してしまえばよいのにと思うが、無駄な費用をかけることはないと いうことか、廃墟と化していた。記念写真をタイマーで撮っているそばを、何ごともなく車が通過していく。ベビーカーに赤ちゃんを乗せ、犬を散歩させている お母さんが国境を行き来している。記念撮影を頼む。そこからRajkeの町は近い。Rajkeの町の入り口でドナウ川サイクリング道の案内標識を見つけ ホッとする。
 Rajkeの町の入り昨日インターネットで調べておいた、宿と道路のメモを見ながら民宿を見つける。ベルを押して出てきた老人に泊まれるか尋ねると、も う営業していないとのことであった。泊まれるところを聞くと教えてくれた。旅の指さし会話帳(ハンガリー)を指さしながら、泊まれるかと聞くと泊まれると のことでヤレヤレと思う。部屋に落ち着くと何か飲み物は?というのでビールを頼む。珍しく、冷えていてとてもおいしかった。
 暫く休憩して、買い物と観光に出かけようと、食料品店と観光スポットを聞く。買い物は水というと宿にあるという。観光はというと夫婦で会話していたが、 教会とドナウ川くらいかなという。ドナウ川は見てきたので、教会に行くが扉に鍵がかかり入れない。鉄道に興味があるので駅に行ってみる。それらしき建物か ら出てきた人に駅かと聞くとそうだとのこと。駅名も書いていない。中に入ると線路側には駅名があった。
 宿に戻り夕食。荷物を減らすために、持参のアルファア化米の山菜おこわと、あさりの味噌汁で夕食とする。2階のテラスのテーブルで夕陽を見ながら、ワイ ンを飲み、食べる食事は最高であった。ワインは昨日オーストリアのHainburugのスーパーで購入した。今回はケチケチの旅行であるため安いのを購入 した。ホテルに帰ってよく見ると、オーストラリア産であった。
 今回のドナウ川のサイクリングはオーストリアのWienからBudapestを経由してハンガリーとクロアチアとの国境、Udvarまでの600kmの 予定である。このサイクリングでドナウ川のサイクリングは3回目となる。最初は2006年にドナウ川の源流の泉のある町、Donaueschingenか らドイツとオーストリアとの国境の町Passauまでの600km。この時は妻と二人で行った。2回目はその翌年2007年にPassauからWienま での400km。この時は経験のあるドイツではなく、オーストリアであることもあって、オランダ国連機関勤務の息子が休暇を取って一緒に走ってくれた。今 回は私、一人である。出発する9月に70歳になった私を家族は心配してくれるが、自分は60歳で初めて一人でドイツロマンチック街道のサイクリング (600km)をした時と変わらないのにと思っている。2回目のサイクリング終了後、WienからBudapestまで列車で行った。私が勤務していた建 設会社が工事していた地下鉄工事の工事事務所の所長が、かつての部下だったので地下鉄工事の現場を見るのと、Budapestとドナウベントの観光が目的 だった。この時ドナウベントは現地のツワーを利用した。バンの私の車で私の家族の他3組の夫婦ぐらいの少人数のツワーで、帰りはドナウ川を船で下った。 色々な国の人と一緒で楽しかった。しかし日帰りで時間もなく、Esztergomのドームの展望台、スロヴァキアとの国境の橋も渡れなかった。今回は Esztergomに2泊してその時心残りだったことを果たした。
 明日からのハンガリーのサイクリングが始まる。何があるだろう、不安と期待のなかで就寝する。

9月29日(土) Rajka~Győr

朝食の時、指さし会話張を奥さんが眺めていて、パン、ハムなどお変わりしたければ言ってくれと言う。大きなパンが3つも出ているので十分である。一つ半を食べて、残りをランチにと言うと、奥さんが、パンをラップに包み、リンゴを付けてくれた。「köszönömクスヌム ありがとう」出発時夫婦で見送りに出てくれる。記念撮影する。
 サイクリングの標識は無く、町、村の名前を確認しながら進む。町、村の入り口、出口には町の始まり、終りの標識が建っている。20km程走ったところ で、標識が現れskiまで5kmとあった。標識が暫く続いたのでそのように走る。ドナウ川の土手の砂利道を、向かい風を受けながらひたすら走る。誰も走っ ていない。自転車専用道路だが、自分一人の専用道路の様だ。Puskiに到着しなければならない距離を走ったのに到着しない。何所かで土手の道から、降り なくてはならないところを通り越した。丁度その時、土手の道を横断する自転車2台が見えた。父、娘の二人連れのサイクリストだった。道を尋ねると、やはり だいぶ通り過ぎていて、ルートに復帰する道を教えてくれた。コースに詳しいが、チェコからサイクリングに来ているとのことだった。教えられた道を進み、Püskiの入り口の所で、次のコースを確認していると、先ほどの親子が手を振って追い抜いて行った。Győrま で25kmの標識のある、Lipotの教会でまた親子に会う。彼らはすごいスピードで私と違うコースを走っているので、おそらく親子が周遊しているコース を私が縦断しているからだと考えた。互いに記念撮影する。父親は日本製の高級一眼レフカメラを持っていて、構図にこだわって何枚も撮ってくれた。娘と一緒 に撮ってもらう時に、「幾つ?」と尋ねると「14歳」とのことだった。美人で東京オリンピックの時の、チャフラスカを思い出した。お礼に日本の黒飴と折り 鶴を渡す。教会の広場で昼食とする。


お世話になった民宿の夫婦

15時30分のGyőrの 中心部に到着。大都会で道路が立体化してマップの状況と大きく変わっている。インフォメーション・センター(I・C)の案内標識に従ってI・Cを探すが見 当たらない。困っていると夫婦が声をかけて来てくれた。I・Cの場所を聞く。場所は分からないが、16時過ぎなのでもう閉まっている。今日予約したホテル の場所とGoogleマップからメモした道順を示して、最初の街路までの道を教えてと頼む。夫婦で相談していたが、遠いので夫が連れて行くので、夫の自転 車の後を付いて行けと奥さんがいう。夫は英語・ドイツ語も駄目だという。夫の自転車の後について行くが、なかなかホテルに到着しない。Gyorの境界を出 てしまう。騙されたかと少し心配になる。30分ほど走りホテルに到着。郊外の新興工業団地の中にある、新しいホテルであった。お礼を渡そうとするが、頑と して受け取らない。「クスヌム」と折り鶴2羽渡す。


チャフラスカを思い出すチェコ美人

9月30日(日) Győr~Komárom

持っているサイクリング地図のコースはGyőrの大都会の中を抜けるルートになっている。地図の縮図が1/75000と荒く、どの通りを行くのか読み取れない。ホテルでもらった市内地図と見比べて、10kmほど郊外の道をショートカットすれば、コースに復帰できるルートを行くことにする。


チエーンが外れて噛みこんでしまった

ショートカットした道は、国道であるが、それほど交通量も多くなく、アスファルト舗装で走りやすい。しかし 坂道のキツイところがあり、ギアーを落としたら、後輪のチェーンが外れてキツク噛みこんでしまった。国道のわきの草むらで修理。本来のコースに復帰したと ころに、サイクリングコースの標識を見つける。また標識に従って進む。向かい風が厳しい。風力発電の風車が連立している。風の強いのは仕方ないか。昼に Babolnaに到着。飲み物店でビールを買って、外のテーブルで持参の食事を食べる。ビールが140Ft(フォリント)なのに、アイスクリームが 170Ftとはびっくりした。如何に日本のビールの税金が高いか、改めて思い知った。
 Acsの街で、またもチェーンを外す。チェーンの具合悪い。道端で直していると、中年の女性が、冷たい飲み物のボトルとお菓子を持ってきてくれた。道端 で苦戦している外国人を心配してくれている。空気入れが必要なら、家にくればあると言ってくれる。「クスヌム」
 今日の目的地、Komaromに向かう。突然林間の道になり分岐がある。先ほどまであった標識がない。誰かに聞こうとするが、誰も通らない。少しもどっ て見晴の良いところに出ると、北の方に自動車道があるのがわかる。地図を見ると、国道と平行して走っていることが分かった。とにかく北に進めばよいと判断 して林の中の細い道を進む。やっと国道に出る。時間も遅くなっているので、国道をそのまま進み、Komaromに向かう。大きな町でI・Cがあるので、そ こで宿を紹介してもらうつもりだ。やっと見つけたI・Cは日曜日で休み。I・Cの前の、町の地図でホテルを見つけて行くが廃業していた。中学生くらいの子 供にホテルを聞く。本当は安い民宿を聞きたがったが、民宿の単語が解らないし、子供も民宿の場所など知らないと思った。教えてもらったホテルは高級ホテル で、フィットネス施設、プールなどもあった。キッチン設備・冷蔵庫もあり、家族で長期滞在するようなホテルだった。

10月1日(月) Komárom~Esztergom


ドイツ、パキスタン、イタリアの若者

国道1号線に併設された自動車道を走る。国道1号線ではあるが古い道で幅員も狭い。交通量はあまりないが、 自動車はすごいスピードで、自転車を追い抜いて行く。(帰国後制限速度を調べたら、指定のない一般道路は時速90km)暫く国道を走って、ドナウ川河畔の 道に入る。眺めの良いところで休息しようと、河原に下りる道をみつけて下りる。そこに3人の青年がいた。キャンプの資材を片付けて出発用意しているところ だった。「ハロー」と声をかける。キャンプしたのかと聞くと、キャンプして大いに飲んだとのこと。イタリア、ドイツ、パキスタンの国籍だった。どうして一 緒にキャンプしているのか尋ねたが、私の英語力では詳しく理解できなかった。パキスタン人は自転車の前輪のスポークを外して、手でしごいている。前輪のリ ムもねじれている。なんでも転倒して前輪を痛めたとのことだった。話しているうちに前輪を組み立ててしまった。私が今回3回目のドナウ川サイクリングして いると言うと、飛行機代がもったいないのに、なんで一度にしないのかと聞く。妻子、子供も用事もあり長い間のサイクリングはできないと答える。私が70歳 だと言うと、びっくりしていた。イタリヤ人の父親より5歳ぐらい私が年上だった。
 彼らより先に出発したので、Budapestに行くといっていた彼らに、途中で追い抜かれると思いながら走るが追い抜かれない。Esztergomの町 に近いところで、裸の青年に追い抜かれる。ハローと言いながら、手を挙げて追い抜いて行く。さっきのドイツ青年だ。あと二人はいない。途中でわかれたの か?と思った。15分位走ったところで、残りの二人に追い抜かれる。Esztergomのスーパーのところで、また3人組に会う。夕食の買い物していたよ うだ。今日と明日はEsztergomに滞在する。予備日も含めて、前回来た時に行けなかった観光地に行くつもり で、ホテルを2泊、日本に居る時から予約しておいた。場所は観光案内書のマップの中にある街路ですぐ分かった。ホテルに荷物を置いて、スロヴァキア国境の 橋まで行く。空荷の自転車は快走する。多少の坂道も苦にならない。国境の橋には、中間に国境を示す、両国の国旗が掲示してあったがそれ以外何もない。自動 車も通行人も自由に行き来している。スロヴァキア側に着くと、両替店がいくつか並んでいた。スロヴァキアはユーロ圏内である。ハンガリーはEU加盟国では あるが、国の財政事情でまだユーロにはなっていない。スーパーでビールを3本買って、冷蔵庫に入れる。久しぶりに冷たいビールが飲める。(こちらの人は日 本のようにビールをキンキンに冷やして飲まない)
 夕食に久ぶりに、ホテルのキーを見せれば1割引になると、教えてもらったレストランに行く。スープと野菜の盛り合わせと、ハンガリーの肉料理を注文。肉 は黒く焦げていて硬い。スープと野菜で満腹。肉料理にもポテト、キュウリ、パプリカと野菜が山盛り。肉を半分残し、昼食用に持ち帰る。
 ドナウ川は、ドイツ南部の森林地帯「シュバルツヴァルト(黒い森)」を源として黒海に注ぐ全長2860km、欧州ではヴォルガ川に次ぐ大河である。欧州 の大河の中では唯一東西方向に流れている。ハンガリー国内に入ると南に方向転換する。そしてまた東へ流れていく。その流域国は、ドイツ、オーストリア、ス ロバキア、ハンガリー、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、ルーマニア、ブルガリヤ、モルドバ、ウクライナの十ヶ国にまたがる。ハンガリー国内で南に転 流する場所をドナウベント(ドナウ曲がり)という。Esztergom、Visegrad、Szentendreなどの歴史的な町が続く。


ハンガリーとスロバキアの国境の橋

10月2日(火) Esztergom

今日はEsztergomの市内観光。毎日朝6時に起床して、8時に出発する生活だった。ゆっくり起床して朝食後、まず大聖堂(ドーム)に行く。雨が降ってきた。サイクリング日でなくてよかった。 自転車をドームまえの広場においてドームに進む。自転車が見える。ここが駐輪場かと思って近づくと、例の3人組が野営して、出発準備しているところだっ た。互いに顔を見合わせて笑いだす。「Budapestに行くといっていただろう?」「年寄だからここで休んでいた」とパキスタンが私の言いぐさを言てふ ざける。雨が降るので、ドームの脇にある渡り廊下のようなところで野営していた。ドームの展望台に上がったか聞くとあがっていないという。料金はと聞くの で、2Cぐらいというと、もったいない。写真を撮ると、イタリア人が写真を送ってくれという。メールアドレスをメモ帳に書いてもらう。読めないので1字1 字確認して記録する。送るが、いつ自宅に帰るのかと聞くと、分からないという。屈託ない朗らかな青年たちだ。彼らの生活をみて、彼らが長期サイクリングし ているのに、なんで荷物が少ないのかが分かった。着替えなど持っていないのだ。ロールマットとテントと炊具ぐらいしか持っていない。服を洗えば裸で走る か、濡れたまま着るのだ。どこでも野営すれば宿泊料金もいらない。パキスタン人の自転車をよく見ると、テープなどで補強してある。これでよく走ると感心す る。彼らの逞しさに日本の青年が対抗することは難しいと思ってしまう。 Esztergomはハンガリー・カトリックの総本山であるドームのある、ハンガリーの歴史上重要な町である。騎馬民族であったハンガリー(マジャー ル)人は、アジアからヨーロッパへ牧草地を求めて、何百年もかけて移動を続けた。他民族の襲撃・略奪から守るため強力な軍隊と部族の団結が求められた。こ うして生まれたマジャール七部族の同盟は。「血盟」と呼ばれ、その首長アルパートは896年に、マジャール国を誕生させた。当時はキリスト教国家ではな かったため、攻撃的な騎馬民族はヨーロッパを震撼させた。その後、イシュトヴァン王により、キリスト教を受け入れ、1001年にキリスト教国・ハンガリー (マジャール)国は生まれた。それ以後Esztergomは13世紀半ばのモンゴル人の侵攻を受けるまで、およそ240年間ハンガリーの首都であった。
 ドームの展望台には500段以上の階段を上がらなくてはならない。普通の階段から螺旋の階段になり、さらに一人が登れる狭い螺旋の階段を上がる。息をき らして登り展望台にでる。残念ながら小雨の曇り空。視界が悪い。三脚を使ってセルフタイマーで写真をとろうと苦労していると、展望台の番人が出てきて写真 撮影してくれた。ドームの祭壇には1枚のキャンパスに描かれた絵画としては世界最大と言われている「聖母マリアの昇天」が掲げられている。
 ドーム近くの見晴のきく高台に建つ、初代イシュトヴァーンが王冠を授かる像の場所で昼食。そばの前回来たときのレストランでは、女性店員は手持ち無沙汰 に客待ちをしていた。昼食後ドームの隣の王宮博物館に行く。入場料はガイド付きで2800Ftという。ガイドがついても理解できないからガイドはいらない と言うと、入場はできないという。窓口で思案していると、150Ftの券があるというので入場する。見学できる場所が限られた入場券ですぐ観終わってしま う。雨が激しくなったので、博物館の中の喫茶店でビールを飲みながら、ただ一人の女性店員と指さし会話帳で会話する。キリスト博物館に行くが本日は休館日 で、早めにホテルに戻る。ホテルで資料・写真整理。久しぶりにゆったりする。


大聖堂(ハンガリーカトリックの総本山)


イシュトヴァーンが王冠を授かる像

10月3日(水)Esztergom-Szentedre


林間のサイクリング道路

ドナウ河岸のサイクリング道を走るが、林間の道で雨上がりでぬかるんで転倒しそうだ。この道をいくより、す ぐ上を通っている、国道11号線の方が安心だ。だがだいぶ高低差があって、国道に登れない。やっと国道に上がる道を見つける。国道は車線は狭いが、昨日の Esztergomへ向かう時と違って交通量も少なく、大型トレーラーも通らない。
 Visegradの町に入ったところで、稜線の上に要塞が見える。前回来た時に行った、懐かしい要塞である。この要塞にぜひもう一度行きたいと思ってい た。しかし結構な高度にあるので、自転車ではキツイ。旅行案内書(地球の歩き方 ハンガリー)では、旅行会社がタクシー、乗合のミニバスを運行していると 書いてあった。これを利用しようと、旅行会社を見つけていくが休業している。旅行会社の前で、どうしようか考えていると、若いカップルが声をかけてくれ た。要塞に登りたいが、旅行会社休業でどうしようか。何処かタクシー会社無いか?。自転車に変速ギアーが着いているなら、自転車の道を行けば登れるとい う。自転車の荷物の重量は25kgほどある。荷物が重たいというと、どこかに預けたらよいという。中途に見晴台があると言っていた。どこかに荷物預けると 言っても、あてがないので荷を着けたまま自転車道を行ってみることにする。舗装の道だが勾配がキツイ。殆ど押して歩く。ようやく見晴台に到着。観光バスが 止まって、客が記念撮影していく。見晴台で昼食していると、老夫婦がやってきてベンチで昼食を摂り始める。夫は杖をついている。こんな坂道よく上がってき たと感心する。指さし会話帳を指しながら、「ヨーナポト Jonapot こんにちは」と言う。会話帳を指して、老夫婦も色々聞いてくる。記念撮影して、折り鶴をわたす。老夫婦は砦まで行くと坂道を登って行く。どうしようかと思案したが、登ってしまえば帰りは坂道下るだけで楽である。しかし時間も押しているし、ここで疲労してしまっては、Szentedreの町までいくのが大変である。あきらめて下る。
 ドナウ左岸のKisorosziへ渡る渡船の船着き場に1時半頃着くと、タイミングよく1時45分であった。船に乗り込む客は他に一人だけである。これ では商売にならないなと思っていたら、出航まじかになって大勢が乗り込んできた。Kisorosziはドナウの中州にある町である。中州と言っても、幅 5km程ある。中州の道を10km程走ると、Vacとの分岐に達する。ここの分岐を間違うと大変なことになる。分岐と思われるところで迷う。そばのスー パーから出てきた、二人ずれに聞く。地図を見せて、Szentedreへ渡るフェリーの船着き場への行き方を聞く。ドナウ右岸に戻る、船着き場に到着した 時、船は丁度出ていくところだった。残念!どのくらい待つのかと思っていたら、フェリーは、すぐに向こう側の自転車と自転車を積んで戻ってきた。フェリー は絶えず行ったり来たりして、待たずに助かった。
 Szentedreの宿は、要塞に行ったりして、遅く到着してもよいように、昨夜インターネットで予約しておいた。場所は11号線から右折した所にある ので、分かり易いはずだった。ところが、国道より入る街路の標識が無く、何処を右折すればよいかわからない。ガソリンスタンドで聞くと、だいぶ通り越して いる。しかしどこまで戻ればよいか分からない。路肩にパトカーが止まっていたので、教えてもらう。信号3つ目がその街路であるとのこと。戻りながら街路名 を確認すると、国道から街路にいくらか入ったところに街路名の表示があった。Esztergom近くでは、国道に綺麗な街路の標識があったので、同じと 思っていたが、行政機関が変わって表示方も変わったのだろう。
 17時30分ごろ、チェックイン。ここの民宿は夫の方が面倒見てくれた。奥さんは民宿の仕事には手出ししない。庭でとれたブドウを沢山出してくれた。とても甘いブドウであったが、食べきれず何日かで食べた。
 SzentedreはBudapestからも近く、日帰りの観光客も多い小さな美しい町である。14世紀頃から商業都市として栄えた。15世紀にはオス マントルコの支配から逃れてきた、セルビア人が定着した。夕刻だったので、中央広場周辺の店も殆ど閉まっていた。前回来たとき、Budapestまでの帰 路に船に乗った場所である。夕刻ではあったが、船着き場に行ってみる。黄昏のなかのドナウを眺める。
 夕食に宿の主人に紹介してもらったレストランに行く。ハンガリーの肉料理と言ったら、飾ってあったカモ鹿のような動物を示して、あの肉料理があるとい う。その料理を注文する。ビールを頼み、次に料理が出てきてワインを頼む。赤白どちらにするかと聞くので赤というと、肉料理だから赤がよいという。この料 理だけたのんだので、おいしく全部平らげた。

              展望台で会った老夫婦(後ろが要塞)             Kisonroaziに渡る


黄昏のドナウ川

10月4日(木)Szentedre~Budapest

 宿より少し戻り、サイクリングコースに入る。初めの3km程はドナウ川岸の舗装された快適な道。サイクリングマップでは、河岸に行ったり来たりしている ので、サイクリング道を整備して、河岸の道をつなげたのだと思う。Budapestの郊外に入ると交通量の多い、自転車道になる。車線の幅員も狭く、路肩 も無い。この路は怖かった。中心部に入り、帰りの切符購入のためBudapest南駅へ向かう。鎖橋のところから河岸の道を離れる。すぐトンネルになる が、トンネルの歩・自転車道は片側だけしかなく幅も狭い。自転車がすれ違う時に、車道に落ちるのではと怖くなる。右折する通りの名前を確認するため止まっ て地図を見ていたら、婦人が声をかけてくれた。地図を見せて、南駅はこの道を行けばよいか確認した。10月13日のPécs~Budapestイ ンターシティー(IC)の切符を買う。ドイツの国鉄の時刻表で調べた9:14発は自転車車両を連結していないという。次の11:14に予定変更した。どう やら切符が確保できて一安心。日本人の夫婦が声をかけてきた。日の丸とハンガリーの国旗を立てているから、日本人と知って声掛けしてきた。日の丸はいいで すねと言う。ご主人が5年ほど前にハンガリーに駐在した経験があり、そのあと何度かハンガリーを訪れているとのこと。明日Pecsに日帰りで行く、切符を 購入したところだったとのこと。暫く話、互いに記念撮影。私の名刺を渡すと、メールで写真送ってくれるとのこと。久しぶりに日本語を話せた。プラットホー ムのベンチで昼食。列車の様子を観察する。ICの列車には自転車車両が一輌連結されていた。


Budapest南駅 ホームで昼食

 今日の仕事として、切符の購入は終わったが、まだチューブと無くしたカメラの三脚購入が残っている。ブダペスト一番の商店街に行ったが店はない。警官に 近くに、カメラ店と自転車店が無いかと聞くと知らないとのことだった。I・Cに行けばわかるかと、案内書に書いてある場所に行くがI・Cは無かった。暫く 探したが、こんな繁華街に自転車店など無いだろうと考え、ホテルで聞こうとホテルに向かう。エルジェーベト橋を渡るのだが、右側通行してきた右側車線に自 転車道が無くなる。柵があって行き止まり。左車線には自転道があるが、渡る交差点も無い。思案していると自転車に乗った人が来た。どうするのだろうと見て いると、柵を越えて行ってしまった。反対側に渡るのは危険であるので、右側車線の自動車車線に入った。交通量が多く危険を感じる。少し行くと人が上がる階 段があって、そこからは歩道がある。橋を渡るとまた階段があって人は下りる。自転車を階段で下した。ホテルまでの道は結構な勾配で自転車を押して歩く。前 に宿泊したホテルの前を通り少し行ったところだった。夜景で有名なゲッレールトの丘に行くのには、都合よい場所と考えて日本で予約しておいた。
ホテルにチェックインし、自転車・カメラ店を聞く。カメラ店は近くの大型商業施設で多分あるだろう。自転車 は友達に聞いてみると、電話して聞いてくれたが知らないとのこと。インターネットで調べてくれた。とりあえず近くの大型施設に行って、案内嬢に聞くとどち らもないとの返答。5㎞ほど離れた、インターネットで調べたところに行く。あともう少しのところで、別の自転車店を見つける。チューブを購入する。店員に カメラ店は無いかと聞くと、道路の向こう側の大型店舗に多分あるだろうとの返答。行ってみるとカメラ店はあったが、ウィーンで買った使い勝手の良い三脚は 無かった。行きは道路名を確かめながら行ったのだが、帰り気楽に自転車こいでたら道が違うのに気付いた。道路名を確かめて、通行人に聞くと間違いないよう なのでどうやら戻れた。ホテルに戻り夕食。薄暗いうちに、ゲッレールトの丘に行こうと地図を確かめ出かける。丘は標高235mの高台にあり、荷を外した自 転車でもキツイところは押して上がる。前回来たときはすごい観光客で、眺める場所を確保するのが大変だったがすいていた。有名な鎖橋と王宮の丘の夜景は素 晴らしいのだが、写真にうまく取れない。持ち物は軽くと考えて、持ってきたデジカメの性能がわるい。何枚かカメラの設定を変えて撮影したが、満足できる写 真は撮れなかった。諦めてホテルにもどる。この頃になって観光バスがどんどん上がってきた。夕食を終えてくればこの時間になるのだろう。途中で買ってきた ビールを一気に飲む。よく冷えていて美味しい。
 Budapestはハンガリーの首都である。美しいことからドナウの真珠、ドナウのバラと呼ばれる。今日のBudapestは、サイクリングの途中の1泊であるので、Budapestの観光は帰りに3日滞在する時にする。


王宮と鎖橋の夜景

10月5日(金) Budapest~Rackeve

 Budapestからはドナウ川サイクリングマップの第4巻になる。縮尺1/10万で、詳細が分からない。Budapestのスタート地点は東駅になっ ている。ホテルからは、エルジェーベト橋を渡って、道なりに行けば、東駅のはずなのに、案内書の街路名が違っていたのかと混乱した。通行人に聞いて自分の 来た道が正しいことが分かった。そこから右回りに回って、ドナウ近くの国道5号線に入り、鉄道を越えたところで分岐する。分岐地点を間違えて戻る。分岐点 が分からなくて、5号線を来てしまう。5㎞程走った所で、右折してサイクリング道にいけそうな道があったので行く。正確でサイクリング道に復帰できた。 27km付近で分岐してドナウ川の道に入る。自動車道であるが交通量も少なく、走り安いのだか面白くない。河岸に行けば土手に道があるだろうと河岸に向か う。河岸までまだ距離あるところの堤防の上に道があった。泥道で草が生えていて凸凹が大きく走りにくい。


土手のサイクリング道で昼食

12時、土手の上の道の見晴の良いところで、昼食をとる。今日は結婚記念日と息子の誕生日なのでSPARAで買って来た、冷たいビールで乾杯。携帯でメールを家族に打つ。日本では午後7時である。
 昼食をとっている時に、遠くの河岸付近を自転車が通るのが見えた。あそこに道があると気付く。行ってみると手前に柵があり、中でキャンプなどしてはなら ない禁止事項の絵が書いてあって立派な舗装道がある。中には多分取水塔と思われる円筒状の構造物がいくつも並んでいる。番号が書いてあって19番まであっ た。立派な道は管理道路で取水塔が無くなると泥道になった。もとの自動車道に復帰したかったが、なかなか戻る道が無く暫く土手の道を走る。突然サイクリン グ標識が現れる、昨日Eurovelo6は左折との標識があった。そこにEUの星に囲まれた、6の番号と自転車の絵がある。どうやらEUのサイクリング コースの6番だと想像した。
Rackeve着。昨日予約した宿のある通り名はメモしてグーグルマップの地図から宿の位置をスケッチしたが、番地をメモするのを忘れていた。 Kossuth Lajos u.の通りを見つけて注意しながら走るが通りの終りまで行っても宿が無い。公園でパソコンを出して予約表と、地図をプリントスクリーンで保存した画面を出 して確認。108番地と一番入り口のところだった。荷物を取り入れて、宿の経営している店でビールをのみながら明日のコースを確認する。観光と買い物にで かけようとしたら前輪がパンクしている。気をつけてチューブを入れたのにまたかとがっかり。昨日購入したチューブと交換して、空気入れたてポンプを抜いた ら、フレンチバルブの先端のバルブを締める金具が取れてしまったのにはがっかりした。空気は一杯に入ったのでそのまま使うことにする。みるとサドルの取り 付けネジも緩んでいる。悪路と重い荷物でダメージを相当受けている。この際自転車を整備しようと全てのボルトを締め直す。
観光に出かける。きになっていたEurovelo6の標識が対岸に渡るように示している。明日行こうとした ドイツ発行のサイクルマップのコースとは違う。追っていくといくつかの標識を確認できた。町に戻り、観光する。立派な建物がある1901とあるので竣工年 だろう。上の方まで花で飾られている。Hidfo(帰国後調べると橋頭堡)と建物の前の停留所に書いてある。夕なずむドナウの流れを橋の上から眺める。教 会の塔がそびえている。心が落ち着く。TESCOで買い物、ビールとつまみを買う。TESCO大概の町にある大型店である。この町の店は小さい。 TESCOとSPARAが大概の町にある。
 宿に戻り、インターネットでEurovelo6を調べると、EUで設定している12のコースの一つと分かった。ローワル川、ライン川、ドナウ川を結ぶ コースである。フランスの大西洋岸のNantesからルーマニアの黒海のConstantaまでの4448㎞のコースである。ドイツで発行された自分の 持っている、ドナウ川コースと同じ部分と違った部分がある。それで時々しか標識が出てこないのだった。サイクリングマップの縮尺は1/10万で荒く、情報 も少ないので、Rackeveから先はこのコースにすることに決める。主な経由地は同じである。
夕食は残っている食物のインスタントのあさり味噌汁。この味噌汁がとてもおいしい。ビールとUKIKUMという数十種類の薬草入りの40度の酒(指さし会 話帳では加納姉妹の寝酒と書いてある)を飲んだので眠くなる。22時に目覚ましをかけて眠るが熟睡してたか目が覚めたら23時だった。記録整理する。


Eurvelo6の標識(黄色)

10月6日(土) Rackeve~Solt

 宿での朝食なく残り物を片付ける食事。Eurovelo6の標識に沿って進む。要所には標識あって順調に進めた。標識に従っているだけでは、何処を走っ ているのかわからない。幸い持参のサイクルマップは横長のサイズで、走路の方向が南北になったので、南北の表示範囲は狭くなったが、東西の範囲は広い。 コースから違う道を進んでいても何処を走って入るか分かる。Dömsödに 入る。桟橋で皆釣りをしている。日本では河川の敷地は公共の土地だがここでは違うようで、各家の前に道路を隔てて駐車場があり、船着き場を設けている。日 本では許可にならないような貧弱なものである。Eutovelo6のコースは車の来ないできるだけ安全なコースを設定しているようだが、ハンガリーの道路 事情が悪く、ほとんどが悪路である。砂砂利、泥道、マカダム舗装とアスファルト舗装の剥げた道、自転車はバウンドして尻は痛くなる。時々コースを逸れて、 平行して走っている自動車道にエスケープする。基本的にEurovelo6はドナウ河岸の道を設定している。堤防の道がほとんどであるが、自転車にとって 安全ではあるがキツイ道である。信号も交差点も無いので、自転車を自分の意思で止めないかぎり止めることは無いので、サドルの位置を2cmほど上げる。少 し走行が楽になる。
 朝飯で食材を全て平らげてしまったので、土手の道から離れて昼食を買うためにDunavecseの町に入る。小さな店をみつけてパンと飲み物を買う。 ビールかと思ったが無かった。ビールを飲むと昼からキツイのでよかった。買い物して外に出ると対面にCOOPがあった。しまったと思ったがビールはやはり やめておこう。ボーイスカウトの会議を任せてきたので気になっていたので、昼食時日本にTEL。土手の見晴の良い場所で昼食。昼食もそこそこに、今日の宿 を確保してないSoltに向け出発。Soltは急遽コース変更したため宿泊としたが、Booking-Comにもホテルは無いし、サイクルマップにベッド のマークがあるので、何とかなるだろうと思っていた。いざとなれば野営を経験してもよいと考えていた。ハンガリーの交通網も発展していて、サイクルマップ では行き止まりになっている高速道路8号線の、橋梁も完成していて先につながっていた。
 国道52号線を渡った所にEurovelo6の説明掲示があった。そこに一軒の民宿の案内がクリーヤーファイルに挟んで止めてあった。通り名と番地も書 いてある。地図もある。これで今晩の宿は確保できたと安心した。通りはコースの続きですぐわかったが、番地が分からない、ほとんどの家に番地がついていな い。ところどころの新しい家にはついている。目当ての番地が見つからない。それらしき場所は自動車修理工場のようなものである。確かめようとするが、鍵が かかっていてベルを押しても反応ない。さらに先に進んで、喫茶店を見つけてそこでビールを注文して、女性店員にSoltで宿泊できる場所を聞く。52号線 のところにAGIPと言うガソリンスタンドがあり、そこで宿泊できるという。ガソリンスタンドのチェーン店で運転手が泊まれるようになっているようだ。少 し戻るが仕方ないと戻ると、さっきの自動車修理店に丁度人が帰ってきた。番地を聞くと間違えない。泊まれるかと聞くと、奥に回って奥さんを呼ぶ。奥さんは 英語が話せる。今日は娘二人と、孫が来ていて部屋は無いという。3kmぐらい先のホテルを教えてくれる。そこへ行こうとしていたら、奥さんが追いかけてき て声をかけてくれた。シャワー・トイレの付いている小さな小屋がある。そこを見てもらって、良ければ泊まりなさい。ダメであれば紹介したホテルに行きなさ いという。泊まれるだけで十分と言って小屋を見せてもらう。広くて寝るだけなら十分である。ここに泊まると話す。
 チェックイン。奥さんがすぐに掃除するから暫く待ってという。娘と来て掃除して、布団とタオルを持ってきてくれる。おなかすいているか?何か飲み物は? と聞いてくれる。オレンジジュースを頼むアルコールはいらないか?というので今はいらないというと、ハンガリーの酒があるので、ウエルカムに一杯持ってく るといってもってきてくれた。会話帳で話すと杏、梨、プラムの蒸留酒をミックスした自家製のものである。アルコール度は相当きついようだ。夕食は何時にす るかと言うので、5時にお願いする。荷物と自転車を小屋に入れて、日記、写真の整理をする。
 夕食を娘が持ってきてくれる。手書きの英語のメニューが添えてある。読むとハンガリーの魚のスープ、豚肉のポテト添え、カボチャの煮つけ、パイとある。日本の食パンに似たパンもあるが量が多く食べきれないので、パンとパイは明日の昼食にする。
 夕食終了。満腹である。町まで買い出しに行かなくて助かった。シャワー洗濯、寒いので防寒を着る。薪ストーブがあったので使わせてもらう。洗濯物も干 す。連日0時ごろまで日記・写真整理、明日の宿探しとすることがあり起きていたので、今日は早く休む。


奥さんと娘で小屋の掃除を始めた              手書きのメニューを添えた夕食

10月7日(日) Solt~Kalocsa

 昨日朝食の時間を決めなかったので、何か言ってくるかと待つが来ない。荷造りも終わったので、母屋へ行くと、奥さんが待っていたようですぐ出てきてくれ た。朝食はいるかというのでお願いする。何にするか希望をきいて、10分ほどで持っていくと言う。トマト、キュウリ、パプリカの野菜に温かいソーセージ、 ゆで卵、パンに自家製のジャム、お菓子、紅茶と心がこもっている。勘定は6000Ftと言う。昨晩の食事と小屋とでは本当に安い。7000Ft払う。喜ん でくれた。御礼に折鶴を娘二人と奥さんにと3羽渡す。折り紙と言う。なんでも奥さんも折り紙を日本人の先生から習っているとのことで驚いた。今朝テレビで 鈴鹿サーキットのレースをしていたという。昨日は「サケ、酒」とも言っていた。かなり日本に関心があるようだ。昨日のホテルまでの地図も分かり易く書いて くれた。かなりのインテリである。ご主人も見送りに出てくれた。ご主人は自動車修理、奥さんは民宿と稼いでいるからか、敷地は幅40m位、長さは80m位 あった。長さは道からであるので、隣家も同じで幅が各家で違う。敷地のなかで昨日出してくれた蒸留酒、杏、梨も作ったと言っていた。鶏とヤギも飼ってい た。


牛が土手の草を食んでいた

国道51号線を少し走り、ドナウの土手の道に入る。舗装されていて快調に走る。ところ所に遮断機があって、 自動車が入れないようにしている。その一つに花輪が一杯飾ってあって、そばに写真をはめ込んだ墓標があった。ここで、交通事故で亡くなった若者の墓標のよ うだ。土手の草を食んでいる牛の群れを見る。犬をつれた牛飼いが牛をゆっくり追っていた。道理で土手の草が短いと思った。牛飼いに写真をとってくれと頼 む。シャッターはここでここを押せといっても映っていない。ここを押すのだと言っても映っていない。実際に押してみて理解させた。写真など撮ったことがな いのだろうか。
 舗装は続いていて、誰も走らない自転車専用道路を独り占めする。幅員も自動車2車線分ある。多分横を走る51号線は昔この土手の道だったのだろう。道は 舗装で幅員もあるので走りに専念すればよいので、サドルをさらに上げる。Dunapatajの町に入るのに51号線を横切ると、標識は来た方向に戻るよう になっている。おかしいと思いながら、標識に従っていくと町の中に入って行く。小さな町のなかに自転車道路が通っていることに驚いた。ここもアスファルト 舗装である。町の出口に近いところで、標識がおかしい。道路を横断して振り向くとそこに標識があった。2枚同じものがある。南下しているコースには標識は 無いのに、北上するコースにだけ標識が2枚ある。とにかく南下するコースには標識ないのだからと先に進むとロータリーに出て行き先の標識ない。戻って先ほ どの標識に従って西に折れる。51号線を横断したところに標識が現れる。この標識の指す方向が理解できない。直進の→だが、51号線に行くの横断して進む のかはっきりしない。地図から読み取ると、横断した方向に進むべきなのに、→の指す方向は51号線か、横断して進むのかはっきりしない。とにかく→の方向 に51号線を進むと先ほどのロータリーになって行先不明となる。戻って横断方向に行き暫く走ると標識が現れた。今までの標識を考えると真直ぐの→は、直進 で良いのだが、何処についているかによるかということである。標識の付いている道を直進せよということだ。
 土手の道に入る。土手は高くなっているので見晴は360度である。西端はドナウ河岸の樹木滞が数キロ先に見える。東側は遥かに続く畑である。大体午前中 はあまり風もなく最高である。昼食のため土手からドナウ河畔まで下りる。ドイツ国籍のバージ船が下っていく。この辺は船の通行がドイツに比べて少ない。昼 食時ズボンのポケットの近くが破れているのに気づく。日本のアウトドアーの衣類としては最高のM社製品なのに。なんでだろう?ポケットに一杯詰め込み、毎 日70kmほど走ってきたからか。
 Dunaszentbenedekの町で教会を写していたら、二人連れのサイクリストに抜かれた。ヤーと声をかけて行った。ここ数日ドナウサイクリング コースを走っている人と会っていない。今日朝から初めてのサイクリストとの出会いであった。Kalocsaまであと5㎞位のところで、普通は猛スピードで 追い抜いてゆく車が追い抜かない。振り替えると運転席の窓を開けて、何か困っていること無いかと聞いてくれた。サンキュー何もトラブルありませんと答え る。自転車止めて地図を見ていたので何か困っていると思ってくれたようだ。ありがたいことで感謝。Kalocsaに入る。Kalocsaの手前の標識を最 後に標識が無い。市内中心部に行く。日曜とあって殆どの店が閉まっている。昨夜Googleマップで見つけておいたホテルを探す。見つけるが閉まっている 15時にならないとダメかと別のホテルに行くが、荒れていて廃業のようである。ドームの前に町の案内板があったので、サイクリングマップに載っている、民 宿の場所を確認しようとしたとき、前輪の空気が抜ける。チューブ交換してほぼ100km位走ったので、またバルブの所が当たって穴が空いたかと思って チューブを取り出すと、そこではなく空気入れたときに折れてしまった、空気調整バルブのバルブ締めが無いので、内圧で押されていたバルブが何かの拍子で外 れて空気漏れたようだ。空気入れてみるが、抑えのバルブ機能がないので抜けてしまう。チューブ交換する。


パプリカ博物館

ドームの前のお土産店が開いていたので、ホテルは両方とも休業しているのかと聞くとそうだとの返答。 Bookinngu-comで見つけられないことが分かった。土産店の女性店主にどこか泊まれる所無いかと聞くと教えてくれた。ホッとする。部屋に荷物を 運び込み、市内観光と明日のコースを調べに出かける。Kalocsaいえば、刺繍とパプリカの町である。ドームは補修工事中で入れず。そばのパプリカ博物 館に行く。観光バスが止まっていて、大勢の観光客で博物館は満員。土産にパプリカの袋詰めを買う。
 先ほどの土産店に行き、妻、妹、嫁たちのお土産として刺繍のシャツを買う。宿を紹介してくれたお礼に折り鶴をあげる。
 KalocsaからGerjenかBatyaを経由する2通りのコースがあるが、どちらも2㎞程走ったが標識を見つけられず。明日はサイクルマップの通 り進むことにする。宿に戻り、夕食。メニューにはピザしかない。ミックスピザとビールで夕食。記録写真整理、すごい雷雨となって、明日が心配。

10月8日(月) Kalocsa~Baja

昨夜の嵐が去って、気圧計を見ると気圧が急速に上がっている。風もいつもの南からでなく、北西の方向で追い 風である。快晴の空の下誰も通らない自転車専用道を走っていて、景色も最高で何度も写真をとるので、距離が伸びない。Fajszの町を通過したところか ら、舗装が無くなり細かい玉砂利の道路になる。凹凸は無く、昨日の雨で締め固まっているので、振動はないが抵抗が大きくスピードが出ない。堤防の草刈りし ている3人に、声をかけるが無視された。出発してから約20㎞のところで、Eurovelo6の標識見つける。Kalocsaの町に入ってから分からなく 成っていた。昨日Kalocsaの町に入るときの標識はまっすぐ行けの標識だったのか?
 堤防の路肩の広いところで休憩。高速道路M9の下を通る、手前で草刈りの重機のオペレターが声をかけてきた。ハンガリー語でさっぱりわけがわからない。 記念撮影する。堤防の草刈りは、牛に食べさせる、人力の伐採、重機と取り混ぜて行っているようだ。しっかり管理されている。M9を超えてからの堤防の道は 2車線になり自動車も通行可となる。アスファルト舗装されている。サイクリングマップではM9から12㎞の所に、ドナウ国立公園博物館があるはずで、そこ で昼食をと考えていた。そこには建物があったが博物館ではなかった。家の中から大木が出ていた。排水場もあった。そこから1km程走り駐車スペースがあっ たので昼食とする。日本へメールをしていると、2台の車が止まった。メールしていたので気が付かなかったが、警官が自動車を止めて免許証をチェックしてい たようだ。メールを終えてみると声をかけてくきてくれた。ポリスの服を着ていた。通りがかりの車を止めて免許証を確認している。写真を撮らせてというと、 制帽をかぶり、上着とポリスの名前の入った上着を着てくれた。自分はシェリフで周辺をパトロールしていると言っていた。ただ車は自家用車だった。
 Bajaに入った所にあったTESCOにチューブがないかと入る。子供用の小径チューブしかなかった。圧力メータ付の良いポンプが安かったので買う。 Bajaの中心部に入る。町の案内板があったので、昨日予約したホテルの通りを確認していると老人が声をかけてくれる。○○通りとメモを見せるとそばに 居った数人に知らないかと声をかけてくれた。案内板で通りを見つけていく順路を考えているのに、老人が色々言う。有難迷惑と言うところである。親切でして くれているので感謝。道が分かったので走りだすとすぐにホテルの案内板があり300m先とある。標識に従って行くと町の本当の中心部の広場に面した古いホ テルであった。インターネットで昨夜安いところを予約したのにびっくりした。3時前で、チェクインは早いかと聞くと、問題ありませんとチェックインする。 珍しくシングルベッドの部屋である。
 荷物を部屋に入れて、観光と買物に出る。自転車店を聞くと自分の知っているところは月曜日休みなので、広場の向こうにI・Cがあるのでそこで聞いたらよ いと。I・Cで聞くと同じ通りに3店並んでいるところを教えてくれた。チューブ3本買う。観光とSPARAで夕食の買い物。NICUMリキュール、カット 野菜、ビール2本、リンゴ2個で2700Ft。
 中央広場でEurovelo6の標識みつけたので追ってみる。登り、下りのコースが混ざっていて、明日どう行けばよいのかわからなかった。ホテルに戻 り、シャワー洗濯、夕食。あさりの味噌汁にカット野菜を入れる。最高である。家にいる時は妻が野菜を食べろといつも言うが、キリギリスでないのでそんなに 食べられないと何時も言っていた。野菜不足が続くとおいしい。
 日記、写真整理。明日のコースの確認。明日のMohácsの宿は、町についてI・Cに行って決めることにする。


        誰も通らない自転車道                               自動車でパトロールする警官    
                 自分専用道路のようだ                 写真撮らせてと言うと正装に着かえてくれた


ホテル前の中央広場

10月9日(火) Baja~Mohács

 昨夜調べておいた、ホテルの裏からの道を行く。いきなり階段と急坂。自動車道に出たところに、Eurovelo6の標識あり。堤防の横の地方道を朝日を 浴びて快適に走る。ドナウ河畔の森が朝日に映える。堤防の斜面に自分の影が映って一緒に走っている。4~5km離れた51号線を走る車の音が微かに聞こえ る。風切音と微かなタイヤの摩擦音しかない。小型犬2頭が上手に牛を追っていた。牧童にいい犬だというと犬を呼んでくれた。堤防の管理は色々な方法でやっ ている。小さな渡しがあった。人は川に張ったワイヤーを伝って小舟渡る。自動車はでジャッキを使って移動する。

               土手に伸びる自分の影と一緒に走る                 人力による渡し

堤防より下りてドナウ河畔で小休止。草が濡れていて靴がびっしょり濡れてしまった。堤防の土手の悪路と強い向かい風にスピードが出ない。苦しい時には、なんでこんなことをしているのかと思う。なんとか12時前にMohácsへ の渡し場に着く。切符を買う。金額を書いてくれたが読めない。こちらで470と書くと違うといって乗船券を見せる。人が240で自転車が230、470で あっている。私の書いた470が切符売りに読めない。こちらの人の文字、数字には苦労する。次の便は12時10分という。少し時間あるのでパンをかじり、 ジュースを飲む。対岸にいたフェリーがこちらに着岸、車をのせてすぐに折り返す。10分もかからないで渡る。町の中心の分かりにくいところにあるI・Cを どうやら見つける。宿を頼むと民宿を紹介してくれたが、15時でないとチェックインできないという。荷物を預けてクロアチアの国境まで行きたいと言って も、I・Cの老女は英語が全くだめ。とにかく紹介された宿に行ってみるが、ベルを押しても誰も出てこない。しかたなく途中で見かけたレストランにベットの マークと自転車歓迎の文字があったので、引き換えしそこにチェックインする。荷物を室内に運び、すぐに国境に向けて出発。


ハンガリー/クロアチア国境
で行列するトラック

10km位は堤防の道で舗装工事したばかりで快適。おじさんが自転車に乗って、2匹の犬を連れていたので犬 の散歩かと思ったら、少し先に羊の大群が土手の草を食んでいた。羊飼いのおじさんだった。この10km間で出会ったのはこの羊飼いだけであった。国道54 号線(E73)に出て、7km程で国境。国境に入るとトラックと乗用車のレーンを分けて、トラックは遮断機があり待機している。1kmほど走ると国境の検 問所、ここでもトラックが並んでいる。検問所に駐車スペースが少ないので手前で待機させ検問所が空いたら青信号で呼ぶシステムである。検問所に行って写真 を撮ろうとしたらダメと言われた。トラックの運手がタバコを吸いながら、たむろしている。ハンガリーの入国側に居た女性係り員が何か言ってきたがさっぱり わからない。英語は出来ない。自転車なら簡単に通行できると言っているようだが、ハンガリーを出国して、すぐ入国して、問題でも起こすと帰れなくなるので やめた。係官が大勢集まってきて、日本人かと聞く。日の丸とハンガリー国旗を前に立てているのでわかるのだろう。日の丸をみて日本人と分かってくれてうれ しい。写真ダメかと聞くとダメという。係官同士、がやがや話していたがさっぱりわからない。トラックが溜まっているのだから、油を売ってない無で早く手続 きしてあげればよいのにと思う。クロアチアには行かないでここで戻るといって戻る。国境に向かう時はひどい向かい風で、帰りは楽だろうと思っていたのに、 帰りは風が止んだ。それでも無風で帰りは楽だった。
 ホテル帰着。往復35kmの国境見学と最後のドナウ川サイクリングである。これでドナウ川サイクリングは終わった。
 明日から2日間はハンガリー観光局のK氏に進められたワインの産地Villanyに寄り、自転車車両を連結している、ICの停車駅Pécsに行く予定。ナビで行くはずだったので、地図を持ってこなかった。Wienでナビが壊れてしまった。地図が無くて不安だが、どこかガソリンスタンドで買えればよい。Butapest駅であったご夫婦は日帰りでわざわざPécsまで行くと言っていたので、興味深い町である。
 Mohács は1526年のオスマン・トルコ軍との戦いで、ハンガリー王国が破れた、ハンガリーにとって、屈辱の地である。この戦いでハンガリー国王ラヨシュⅡ世は戦 死した。世継がなく、王位はオーストリアのパクスブルク家に渡る。そして都のブダが落とされたあと150年にわたり、ハンガリーはオスマン・トルコの支配 下に置かれた。

10月10日(水) Mohács~Villány

 チェックインの時、朝食の打ち合わせしてないので時間が気になった。夜、下のバーのお姉さんに聞いたが、経営が別のようで分からなかった。あまり早く 行っても悪いと思い、ドナウの朝日を見に出かける。あいにく東の空は暗雲。あきらめて帰る。SPARAがあったのでマップが有るかと思い入るがおいていな い。パンとジュースを買う。宿に戻りインターフォンで食事場所を聞く。男が出てきて朝食は無いという。看板にBed&Breeakfastと書い てあったのにと思うが確認しなかったのが悪い。宿泊料9000Ftと言う。朝食なしで高い。荷物を整理して出発準備ができたら支払うと言うと、今払えと言 う。鍵はどうするのかと言うとポストに入れとけという。不機嫌そうな様子で態度悪く気分悪かった。部屋に戻り買って来たパンとヨーグルトで簡単な朝食。
 今日からドナウ川サイクリングコースを離れるが、詳細な地図も無いので不安。宿を出て、国道56号線に出る交差点で、新聞などを売っている売店を見つけ る。ここに地図あるかと入る。1/45万のハンガリー全土の地図があった。持っている1/55万よりだいぶ見易い。とりあえず購入する。すぐ近くにガソリ ンスタンドがあったので見てみるが同じマップしか無かった。いよいよ国道56号線を右折して、ドナウサイクリングコースとお別れの道に入る。


Három(3) folyó(川)の標識

暫く走ると最初の町、Satrhelyの町の入り口に掲示板がある。見るとサイクリングコースの地図であ る。1/55万のサイクリングコースの地図(ハンガリー政府観光局でいただいた)でも概略分かっていたが、少しでも近道が良いと考えて昨夜コースを決めて いた。コースを見ると、今日の目的地、Villanyを経由している。(コース名は川NO.3)このコースを行けばサイクリングコースの標識があるので、 楽であると判断して、コースを変更してこのサイクリングコースに乗ることにした。
 Majsの町に入るところで、丘越え久しぶりの登りでギアアップ、押して上がる。下りは"人生下り坂最高"。その後、緩い登りくだりの繰り返し。途中大 規模な造成工事の現場を見る。排水管を敷設している。1km四方ぐらいの規模で、大規模な工場のようにみえた。遠くにハンガリーでは珍しい山が見える。な んという山か気になった。
 Lippo、Kislippo、Magyarbolyと町をすぎてVillanyに到着。遠くに見えた山はVillanyの丘であった。ハンガリー政府 観光局のK氏に進められてVillanyに寄ることにした。ワインの産地であるから、山の斜面を想像して、坂が多いのではと言ったらハンガリーには大きな 山もないのでのとの返答だった。自動車では大した坂ではなくとも、自転車では堪える。中心部に入るところに、町の案内図があり、そのまま進めば今日の宿に 着けるとわかる。Villanyの中心部をすぎて、町の終りに宿はあった。チェックインしてくれた。昼食は出せないとのことで、歓迎のワインを一杯出して くれるさすがワインの町である。町の探索に出かける。まず駅に行ってみる。やはり駅名は駅舎の表にはない。線路側にある。写真撮影していると女性駅員が出 てきた。列車が通過するから、自転車を安全な場所へ移せと言う。男の駅員も出てきた。駅員二人のようである。列車が来たら乗客や自転車の状況を観察しよう と待っていた。通過したのはジーゼル機関車一台だった。それにしても酷い線路の状況である。よく脱線しないと思う。


ワインは飲めないワイン店の売り子

昼食と思い、中心部に戻る。レストランを覗くと満席。向かいの店に暇そうに客待ちしている女性店員がいる。 そちらでと思って行くと、食事はワインだけ。ワインの味見を勧める。赤白何種類かのワインをテイストする。白は1500Ftぐらいで安く、赤は 4000Ftぐらいで倍以上する。その店員に、あなたはどのワインが好きかと聞くと、私はアルコールがダメで、チョコレートと言う。確かに太り気味であ る。テイストしながらドナウサイクリングのことを話す。写真を撮らせてと言うとダメと言う。若い女性で太っていると自覚しているからか?日本にワイン送れ るかと聞くと、ボスに聞いてみると言ってボスに電話する。ボスが来るから待ってくれという。女のボスが来て話すと、多分できるだろうという。調べてきたの か送料は4000~5000Ftぐらいという。前にドイツから送った時も、ワインの値段より送料の方が高いのは分かっていたので費用はそうかなと思った が、初めてのようなので不安であった。もう少し安くなるか調べてみると言うので、夕方6時にまた来ることにする。
 前のレストランに行く。幾分空いて席が空いていた。ワインとポークのカツレツを頼む。それだけで十分なのに、付け合せをライスにするかポテトにするかと しつこく聞いてくる。300Ftぐらいで安いので、ポテトにする。案の定たっぷりの茹でたポテトがきた。昼食の間かなりの雨だったようだ。
 チェックインの時、女将は午後7時過ぎるといなくなるので、出入りは裏口からと、電磁キーを渡してくれた。ワイン店に行って帰りが遅くなったらと思い、 裏口から出て鍵が開くか電磁キーで開けようとするが開かない。焦って何度か試みるが開かない。6時に行く約束をしていたので、遅れては悪いと思ってワイン 店に行く。彼女が待っていて送料は3000Ftであるという。梱包も全て含むとのことだった。送料は納得できたが、日本へ送った経験がないのが不安で取り やめる。お詫びに一番高い赤ワイン1本購入。5000Ft宿に戻ると電気がついていて女将がいた。明日の朝食の用意をしていた。女将に裏口開かないと言っ て、確かめてみる。やはり開かない。思い切り力を入れて引っ張ると開いた。締め出しをくって、別の宿に行かなくてはならないかと心配していたが助かった。 隣の万屋で夕食のトマト、リンゴ、ヨーグルトを買う。買って来た高級ワインのコルク栓を抜くのに失敗。女将に抜いてもらう。ワイングラスを貸してくれる。 確かにおいしい。ワイン飲みながら、日記と写真の整理する。
 明日のPécsの宿をインターネットで予約。12日~14日Budapestの宿を観光案内書にあった、日本人経営のホテルに電話して予約する。案内書にあった、携帯番号に電話するといきなり日本語でびっくりした。

10月11日(木) Villány~Pécs


街路の電柱にある植木鉢の花の手入れ

私一人のために女将が昨夜用意していた朝食をとる。旦那さんと子供二人が食事にくる。昨夜大雨だったのか、 レジ袋で覆っていたサドルがグチョ濡れ。今日がサイクリング最終日になる。宿の前で女将に記念撮影してもらう。Villanyは葡萄酒の産地で、広大なブ ドウ畑を期待していたが、広い畑がなかったのでがっかりした。(後でBudapestの宿の女将に聞いたところでは、山の斜面に畑はあったようだ、私は山 の裏側を通ってしまった。)Paikonyaを通過、ハンガリーでは道路の草刈りもこまめにやっている。また街路にある花壇の手入れもやっている。今日は 街路の電柱においてある植木鉢の一つ一つを梯子で登り、ポットを降ろし、枯れた花びらを除く作業を二人でやっていた。人件費は安いからできることもある。 Ujpetreここからサイクリングコースから別れる。標識が無くなるので地図を確認しながら進む。
 途中までは順調に来たが、Pécsに近くなったところで、Pécs~という表示が出て来る。高速道路のPécsインターチェンジだったりする。地図では、国道6号線まで行って、左折すれば市内に入れると読み取れるので6号線を目指す。多分あの町並みがPécsだろうと観ていた場所から離れて行く。6号線に出たとき、Pécs中心部の標識があり安堵する。そこから中心部まで6kmとある。やはりもう少し手前から入った方が近かった。Pécsの町に入るところは、登り下りの激しい道の繰り返しで息がきれた。
 予約していた、ホステルに到着する。インターフォン押すが反応なし。電話番号が扉に張り出してあったので、電話するが反応なし。15時過ぎないとダメか と駅に行く。駅のコインロッカーに荷物を預ける。使用法が英語で書いてあったが少し心配だった。11:14分発と同じ、13:15発のブダペスト行きイン ターシティー(IC)を観察する。自転車は誰も持込まない。駅のベンチで昼食。町の中心部に行き、セーチュニー広場にあるI・Cを探すが見つからない。 ジョルナイの噴水など周辺の名所を観光する。I・Cは地図に載っている場所と反対側に移転していた。I・Cで市内マップをもらう。インターネットで予約し たホステルのチェックイン時間を確かめる。14:00~となっている。またホステルに行くが反応なし。安いホステルでなく、ちゃんとしたホテルにすればよ かったと後悔する。I・Cは16:00時に締まってしまうので、その前にいかねばと急ぐ。I・Cで安いホテルを紹介してもらい、駅に荷物を取りに行く。無 事に荷物を回収できた。中心部から少し離れたホテルにチェックインして、すぐに買い物と観光に出る。


Pécsセーチェニ広場

Pécsは ハンガリー第5の都市で、学生の街である。14世紀に最初の大学が創設された。市庁舎前のセーチェニ広場周辺に大聖堂などの建物が並んでいる。大聖堂は 16世紀にモスクとして建設されたもので、ハンガリー最大のトルコ建築である。現在はカトリック教会として使われている。見学しようとしたが時間が遅かっ たのか、入れなかった。お土産が不足していると思っていたので、お土産店があったので入る。ハンガリー刺繍のテーブルクロスとパプリカを買う。
 ホテルに戻り、日記を書こうとして明日の切符を確認する。切符は12日でなく、13日になっていた。自分の勘違いである。駅に行き日にち変更を頼む。女 性駅員は、IDカードを見せろと言う。私は日本人でIDカードは持っていない。パスポートでよいだろうと言っても、IDカードという。パスポートを見せる と隣の窓口の男性に聞き、納得したようだ。パスポートより確実なIDは無いのに。書き換えは無料だった。ARKADのショッピングセンターを見て帰る。日 本にも無いような大規模ショッピングセンターである。おおきなSPARAも中に入っていた。
 ATMでキャッシングの初体験をする。ハンガリー政府観光局のK氏が両替すると手数料とられるので、ATMでキャッシングすれば良いとアドバイスしてく れた。フォリントを残しても使い道ないので、ギリギリの残金になっていた。Budapestに行ってフォリントが不足したらキャッシングしようと考えてい た。空いたATMがあったので、試しに操作してみた。最低額の4000Ft降ろす。心配していたが、簡単な操作だった。Pécsの夜景を見て帰る。市庁舎周りの建物はライトアップされて綺麗だった。

10月12日 Pécs~Budapest

 起床して暑いと思ったら暖房が入っていた。ここ数日でだいぶ寒くなってきていた。朝食後駅に行くが、宿泊したホテルの写真撮り忘れたのに気づく。今まで宿泊したところの写真を撮ってきたので、Pécsの ホテルだけ記録しないのは嫌だった。列車の時間まで1時間くらいあるので、ホテルに戻り撮影する。急いで駅に戻る時、前輪に異常音がする。調べるがわから ない。やっとタイヤがリムから外れそうになっている箇所を見つける。ブレーキに当たって音がしていた。ブレーキを外して押して駅に行く。駅に行く途中昨日 のオリーブホステルの写真を撮る。(キャンセルしたので、キャンセル料をメールで請求してきたが、2度行ったが不在だったと返信したらキャンセル料は不要 になった)列車は定刻に発車。新型車両で快適。自転車車両は1輌で、半分が自転車置き場で8台収容できる。残りの半分は車椅子とベビーカーの置き場になっ ていた。日本よりはるかに進んでいる。自転車は自分と他の1台の計2台であった。前輪の空気を抜いてタイヤを戻す。


インターシティー列車の自動車置き場                  車椅子とベビーカー車両
                                                                                    自動車車両の反対側


アンドラーシ通りの交通事故
赤いレーンが自動車車線

発車、間際に買ったビールで昼食。定刻にBudapest南駅に着。荷物を装填して出発。アンドラーシ通り の自転車レーンの横で交通事故が発生していた。事故車に乗っていた女性が震えていた。ハンガリーは自動車のスピードが速い。いつもどこかでパトカーか救急 車のサイレンの音が聞こえている。
 南駅より道路名を確認しながら殆ど押して来たので宿まで時間かかった。住所の番地に着いたが、看板なし。閑静な住宅街である。電話するが出ない。場所を 移ったのかと不安になる。何度か電話したらやっと出てくれた。場所は間違いでなく、普通のマンションの中にある宿である。自転車運び入れたら、前輪の空気 が無い。宿はエルジューベト広場から英雄広場まで延びる美しいアンドラーシ通りから、少し入った閑静な高級住宅地にある。アンドラーシ通りは、ハンガリー 建国1000年の1896年に欧州で最初の地下鉄2.5kmが走った通りである。宿の利用法など説明受ける。日本人の経営でこじんまりした宿である。若い 女性が一人泊まっているとのことだった。
 チューブはやはりバルブの所がわずかに漏れていた。いじっているうちに大きな切れ目になった。街に入るとチューブが痛む。こちらの道路の縁石は自然石で 角がある。高さも15cmぐらいと高い。そこにタイヤをぶつけるので、重い荷物もあり、チューブが痛むのだろう。朝のタイヤのトラブルも縁石にどんと当 たった時に、タイヤがリムからズレたのだろう。
 やっとタイヤ交換できらので、買い物に行く。宿は自炊できるので、当面の食材、パン、ビール、リンゴ、トマト、ハム、トカワインを購入する。

10月13日(土) Budapest

 朝日を撮影に行こうと起きるが、曇天であきらめる。ゆっくり朝食をとり出発する。案内書で、年中無休で、8時にオープンしているI・Cに行くが開いてい ない。ドナウ川左岸を遡り、写真の撮影ポイント探す。ドナウ川のクルーズ船が係留していてよい写真が撮れない。先に進むと通行止めになる。鎖橋に戻り右岸 に渡る。


      ペスト側よりブダ側を望む                       ブダとペストを初めて結んだ鎖橋


鎖橋よりドナウ川を望む

朝日の写真はあきらめて、ハンガリーのスカウト本部に行くことにする。ドナウ川を遡り、マルギット橋に行き、そこから坂道を約4km上り、スカウト本部に到着するが、案の定土曜日で休み。TELしても留守番電話らしいハンガリー語で理解不能。
 そこから登山電車の始発駅までは下り坂で快調にとばす。登山列車に乗る。終点で子供列車に乗り換える。子供が切符売り、車掌、駅長を努めるちゃんとした 鉄道である。さすがに運転者は大人で、他の業務も大人が子供と一緒にしながら安全管理をしていた。子供列車は1951年に、ピオニール(社会主義体制時の 青少年組織)によって設立された。10~14歳の子供で運営されている。Janos-hegy駅に到着する。


        子供列車の車掌                                子供列車の駅長発車のOKの合図を出す


世界一美しいマクドナルドの店

Janos-hegy駅からエルジェベト展望台まで登り坂を徒歩20分。展望台の広場で昼食。家族連れなど で結構混んでいた。展望台は案内書によると標高527mで、そこから山間に広がる、赤い屋根の町並みを眺めることができるとある。昼食後展望台に登る。残 念ながら曇りで視界悪い。展望台は大勢の観光客でいっぱいだった。帰りの子供電車に乗る。往復切符を買ったのに、女の子の車掌が切符を買えと言う。多分蒸 気機関車なので特別料金がいるのだろうと切符購入する。やはり切符に蒸気機関車の写真が印刷されていた。乗ってきた団体さんが、私の横に老女一人と前に夫 婦が座る。老女が「ありがとう」と言う。神戸に、3年居たそうだ。前の席の老人は沖縄に居たという。アメリカの団体ツアーの一行のようだった。
 登山列車の始発駅に戻る。置いておいた自転車でマルギット橋を経由して宿に帰る。途中Budapest西駅で「世界一美しいマクドナルドの店」と案内書 にあるマクドナルドに寄る。前回来た時は、ここで食事をしていたので、混雑していたので写真撮影だけで終える。
 宿に戻ると、同宿の若い女性が食事していて初対面。ロンドンとエジンバラを観光して、Budapestに来たとのこと。明日ロンドン経由で帰国すると言っていた。

10月14日(日) Budapest

 曇り空だったが、朝日を撮影に漁夫の砦まで行く。鎖橋のところで二人の若者に写真撮影を頼まれる。朝からご機嫌な様子。互いに写真取り合う。漁夫の砦 は、王宮の丘の高台にある。急坂を自転車で登るのはキツイので、階段を自転車担いで登る。漁夫の砦には、早朝とあってほとんど人がいない。10月中旬から 無料ということで、フリーに入れた。写真を何度も撮る。マチャーシュー教会は日曜ミサのため、見学は午後から。前来た時に補修中でシートが掛かっていた。 補修は済んでいた。ミサに来る人たちが教会に入っていく。神父が入口で迎えている。観光客にとっては、観光名所であるが、地元の人々にとっては通常の生活 の中のものであることが分かる。教会の前の芝生広場で持参のパンと飲み物で朝食。

         
朝からご機嫌な若者と写真を撮りあう         漁夫の塔から国会議事堂を望む

       

         漁夫の塔 早朝とあって観光客はいなかった              マーチャーシュ協会
                                                                                        日曜日でミサのため見学できず

 トカワインを買いたくて、Budapest一番の繁華街、ヴァーツ通りに行く。空港では高いので、町で 買った方がよいとの宿の女将のアドバイスがあった。ヴァーツ通りの手前の通りのお土産雑貨店で見つける。ヴァーツ通りと、どちらが安いか調べに行くがあま りトカワインは売っていない。路地の屋台の土産物店にあったが、6プットニッシュとは印字してあったが、Aszではない。スーパーに行くが、プットニッ シュのあるものは売っていない。安いものばかりである。スーパーで昼食と明日の朝食購入。
 雨が降って来たので、シナゴーク観光は取りやめて、さっきの土産店に行く。トカワイン6プットニッシュのAsz一本6990Ftを3本。パプリカも買い 足す。Cの持ち金全て50Cと残りをFtで支払う。宿の女将の話によると、ビタミンCをパプリカから発見して、ハンガリー人がノーベル賞を受賞したそう だ。Villanyの赤ワインは最高のワインであるとのこと、やはり日本に送っておけば良かったかと、少し後悔する。宿に戻る。同宿の彼女はまだいた。夜 の便でロンドンに行くとのこと。ロンドンに友達がいて、ロンドンとブタペストの観光で2週間の休暇を取ってきたとのこと。
 自転車を梱包する。パッキング材として、破れたM社の高級ズボンを割いて利用した。荷物を整理して明日の帰国の準備をする。トカワイン3本とパッキング を心配したが、来るときにサイドバックに入れていたフロントバックを出し、自転車の輪行袋、雨具、簡易テントを出したら十分収まった。機内持ち込みの荷物 が増える。宿の居間でハンガリー刺繍のテーブルクロスを売っているのに気づく。ハンガリー刺繍のMahacs地方の模様のものを購入する。
 昼食後、雨も降ってきたので、宿の清算をして、資料の整理をしてゆっくりすごす。
日本から持って来た、赤飯とあさりの味噌汁、Villanyで購入した赤ワインで最後の晩餐とする。

10月15日(月) Budapest~成田

 タクシーを8時半に頼んだ。少し早めに起床し朝食をとり、荷造りする。エコノミークラスなので、手荷物は1つ増えると手荷物料金取られる。サイドバック は2つあるので、使えなくなったチューブで抱合せ1つにする。タクシーは早めにくるから、外で待っていようと女将が言うので、外に出るとすでにタクシーが 待っていた。Budapest空港に出発3時間くらい前に到着する。荷物を透明なテープでグルグル巻きにしてもらっている日本人に何かと聞く。布製のバッ クなど、切られて抜かれる恐れがあるので、防止のためという。保険も付くという。サイドバック2つ抱き合せた荷物がバラバラにならないように、透明のテー プでぐるぐる巻きにしてもらう。1時間半前、やっとチェックイン自転車料金は別納で、エアロフロート事務所に行って支払う。14000Ftと言う。先ほど のグルグル巻きに使ったFt分が足りない。カードで支払う。
 出国検査。余ったFtでトカワイン6Aszを買う。10000Ftと町よりだいぶ割高だった。
 SU2031便、10分遅れで離陸。モスクワ空港到着、トランスファーで靴の金属で引っかかる。成田行はDターミナルで一番端にあり、階段を上がった り、下りたりで移動が大変だった。Cもきっちり使ったので、ビールも飲めず我慢する。成田行SU260便20分遅れで離陸する。さすがに成田行、日本のツ ワーグループも数組いた。16日無事成田着。
 古希の記念として、Wienから始めた、今回のドナウ川サイクリングは終わった。全走行距離は900kmを越えた。

あとがき

 Wineの空港で、自転車が出てこないトラブルがいきなり発生した。今回のドナウ川サイクリングも全工程900kmが無事終了した。ハンガリーは北の オーストリアの国境から南のスロベキアの国境まで、ハンガリーをドナウ川に沿って縦断し、自転車の走行距離は770kmになった。
 ハンガリー人の祖先はアジア系で、現在地に定住したのは895年頃と言われている。現在の人種は混血を繰り返していてアジア系には見えない。955年に ドイツ軍に敗れたことを契機に、10世紀末、アルパート家のゲーザー公の統治により国家建設が始まる。ゲーザー公の子バイクはキリスト教に改宗して、イ シュトヴァーンを名乗り、国内を統一しキリスト教国家を建国した。イシュトヴァーンは1001年に教皇シルヴェスターⅡ世から王冠を戴き、ハンガリーの初 代国王となり、ハンガリー王国がEsztergomに樹立された。
 13世紀にブダがハンガリー王国の都になって、城が建設された。その後のオスマン・トルコの支配、パプルスク家による支配、など苦難の歴史を刻んでき た。ドナウ川によって隔てられていた、ブダとペストが鎖橋で結ばれたのは1849年である。Budapestは歴史的には3つの都市が統合されたものであ る。ブダの北方はオーブダと呼ばれているが、そこにはかつてローマの属州のパンノニアという都市であった。現在のBudapestはこの3つが統合された ものである。
 ハンガリー人は小民族であるが、反抗精神は旺盛である。東西冷戦時の1956年に、反ソ蜂起を行った。その時は、ソ連の圧倒的な軍事力に制圧された。そ の後独自の自由化路線を進めて、旧東欧諸国の中では経済的に発展した。ゴルバチョフのペレストロイカにより、ハンガリーの自由化はより発展する。そして歴 史的な1989年がくる。オーストリアとの国境の鉄のカーテンを除去したハンガリーに、東ドイツ市民がなだれ込んだとき、ハンガリー政府は、彼らを西へ逃 亡させる決定をした。ベルリンの壁崩壊はドナウの河畔から始まったのである。ハンガリー人はこのことに誇りを持っている。
 ハンガリーでのサイクリング中は、色々な出会いがあって、私の人生の大きな出来事の一つになった。ハンガリー人の親切さ、田舎の人々の素朴さは日本人と 変わらない。ハンガリーはEU加盟国であるが、国の財政事情が悪くユーロ圏ではない。道路事情など未舗装のところが多かったり、インフラの整備などまだ十 分ではない。私が社会に出た昭和40年ごろの日本の感覚であった。しかし田舎の町(村?)の生活を見ると、日本よりはるかに自然の中で、豊かな人間らしい 生活をしているように見える。道路、堤防の草刈、堤防を守る植林、街路の花壇の管理などもきちんとやっているには感心した。賃金が安いから出来ることかも しれない。
 今回のドナウ川サイクリングは全日程、22日の内、初めの4日間がオーストリアであとの大部分はハンガリーである。年金生活の身で、贅沢はできない。ケ チケチ旅行である。宿も出来るだけ民宿など安いところを利用した。朝食は殆ど1泊の料金の中に含まれている。昼食と夕食はレストランに行かずに、自分で調 達した。ほとんどの宿泊した町には、スーパーあるいは小さな食料品店があった。スーパーはSPARAとTESCO(都市では郊外型の大型店舗)がほとんど の町にあり、昼食、夕食の買い物に苦労はなかった。ドナウ川サイクリングのドイツの田舎より便利だった。またスーパーでは野菜、果物が計り売りされている ので、リンゴ3個とかトマト2つとか買うことができた。日本のスーパーで見習ってほしい売り方である。リンゴもトマトも小さくて、殆ど手をかけていない作 物であるが、本当に安い。
 ハンガリーの国土は、9万3000km2と日本の4分の1弱であるが、ほとんどが平地である。人口は1000万人と東京都の人口程度である。豊かな国土 と少ない人口が豊かな自然生活を支えていると言える。日本の国土事情とは異なり、日本でハンガリーのような生活を望むことはできない。しかし、文明・技術 の発展が人を幸福にするのか、改めて考えさせられたハンガリーの自転車の一人旅であった。

参考文献
地球の歩き方(ハンガリー) ダイヤモンド社
ドナウ河紀行―東欧・中欧の歴史と文化― 加藤雅彦著 岩波新書
異国の窓から 宮本輝著 文春文庫
ドナウの旅人(上・下) 宮本輝著 新潮文庫
ハンガリー政府観光局 パンフレット ~安らぎの国~ ハンガリー