堀楠平さんの作品

ハンガリー南部ぶらり旅

14年前、僕は一人旅の卒業旅行でブダペストに立ち寄った。短い滞在だった。ウィーンに向かうバスの車窓を流れる大平原を見て、今度はこの広い平原で気ままに時間を使いたい、と思ったものである。時は流れて今回、妻と二人、ハンガリー南部をぶらぶらすることができた。
 思い起こせば、初めて贈った本格的なプレゼントは、ヘレンドのカップ&ソーサーだったような気がする。草木模様の気品ある陶器が以前から好きだったそう だ。ハンガリーは、僕ら夫婦それぞれが、それぞれの理由で一度訪れてみたいと思っていた土地だった。ブダペスト温泉巡り、ヴィッラーニィのワイン街道、鉄 道の車窓や王宮からの眺めなど書きたいことはたくさんあるが、ここでは南部の街ペーチの思い出を中心にまとめたい。

 ブダペストから列車に乗ること3時間、僕たちは炎天下のペーチ駅に降り立った。列車から出ると、青い空の下、全ての色が鮮やかに見える。なんだろう、こ れは。よく晴れた空のため、ではないようだ。中心から離れた駅前にもオスマン時代の名残か、どことなくトルコ風でカラフルな建物が多い。クロアチアの国境 に近いからか、歩いている人の顔つきもブダペストとは少し違う。スラブ系の顔つきや、金髪碧眼のドイツ系に混じり、トルコ系のような顔つき、褐色や黒に近 い肌、黒髪、様々な人が歩いている。僕らは生まれも外見も「純和風」日本人だが、ここでは全然違和感がないというか、雑然とした人波の一部に過ぎないよう に感じられる。

 一息ついてビールでも飲み、そんな開放的な空気に浸りたい気分だが、とにかく暑いので、まずは宿を目指すことに。言葉は全く通じなかったけど、バスの運 転士のおじさんはシャイな笑顔を浮かべ、手のひらに広げたコインから二人分の運賃を受け取り、空いた座席を指差した。バス停から少し歩き、大きな広場と美 しいモスクがある町の中心にたどり着く。
 日向にはほとんど人がいないけど、木陰のテラス席にはたくさんの人がいた。3時くらいだが、この国ではまだランチタイムのようだ。僕らの予約していた宿 は、一番賑やかな通りを見下ろせる安宿だった。クーラーがなくて驚いたが、部屋は意外に涼しく、窓を開けると風が心地よい。大陸の乾いた暑さは、日本の暑 さとは全く質が違うらしい。


ペーチ中心の広場

シャワーを浴びて風に当たると一気に体の熱が冷める。気持ちを奮い立たせて外に出る。溶けそうになりながら 坂を上り、ヘレンドと並ぶハンガリーの焼き物・ジョルナイの博物館へ。中庭には、メノウのような不思議な青が印象深い、トーテムポールみたいな焼き物が飾 られ、素敵な雰囲気を出している。日本ではヘレンドが有名だけど、こちらではジョルナイがメジャーだとか。屋根瓦から始まり、その時々で色々なジャンルの 影響を取り入れているらしく、日本の唐津焼なんかも飾ってあった。オリジナルの釉薬が有名らしく、原色に近い色を使いながら何とも言えない深みを持ち合わ せた、不思議な色合いの焼き物に仕上がる。確かウィーンの大聖堂なんかにも使われているそうで、ハンガリーが誇る産物の一つであるようなことが書いてあ る。なるほど!
 ちなみに、後で気がつくことだが、街中の至る所にジョルナイ焼き物が使われている。市庁舎や郵便局の屋根、動物の口をかたどった噴水などなど。独特の色合いと輝きが、街の色合いに独特の雰囲気を与えている。

   

ジョルナイ博物館の中庭                                         ジョルナイ焼きの噴水

日差しが高く、空気は乾いていて、外を歩けばとにかく冷たいものがほしい。入った店で、みんな飲んでいるら しい「レモネード」が美味しくて驚いた。生ミントが味を引き締め、レモンとオレンジがたっぷり入り、甘さは抑えて自然な味に仕上げていた。そういえば、ハ ンガリーは果物が美味しいと思った。毎日晴れて乾燥しているからか、土地のミネラルが豊富だからか。

 このころになると、ペーチの町のにぎわいを作っているのは陽気な観光客だけではないことに気がつく。自転車で町を颯爽と走り抜ける若い男女は、どうやら 学生のようだ。メインストリートに店を広げる飲食店の店員と気軽に軽口を叩きながら、楽しそうに通り過ぎていく。近所に住んでいる様子の家族連れは噴水で 涼んでいたかと思うと、お気に入りの店に陣取り、レモネードを飲んだり、早めの夕食を食べたり、みんなのんびりと楽しそうだ。ぎらぎらした太陽がようやく 傾くと空気が一気に涼しくなり、広場にはいつの間にか大勢の市民がやってきて、思い思いにそれぞれの時間を使っている。この美しい町並みは、観光のために ではなく、この町の人のためにあるんだなあ。僕らも混ぜてもらおうと広場のベンチに陣取って、少しずつ赤くなっていく太陽がモスクのドームや雲の端を照ら すのを眺めて過ごす。なんと贅沢な時間。

 さて夕食。宿の前のメインストリートに集まっている店はどれもそれなりに魅力的だが、今日は居心地を重視。店員の感じがよい、テラス席の居心地のよい店 に。とりあえず頼んだ玉ねぎサラダは、ワインビネガーを上手に使っていて、ビールにぴったり。ようやくあたりも暗くなり、トルコ風の黄色い壁の建物が美し くライトアップされる。名産の赤ワインで、チーズとパプリカの効いた肉料理を二人でシェアしたら、もう十分だった。また広場に戻り、ライトアップされたモ スクや市役所の建物を眺めながら、気持ち良い風に吹かれていると時間がたつのを忘れる。愛を若者たちが影絵草子を作っている。それにしても、ハンガリーの 空は広い。

 朝、決まった予定はないが暑いのでどうしたものかと、広場に面したカフェでコーヒーを飲んで作戦を考える。目についたのは白い客車みたいな観光バス。何 両かの客車を、先頭にいる機関車みたいなトラックで牽引するらしい。とりあえず、これなら楽しく市内を見て回れそうだ。乗るなら冷たい飲み物は持っていき たい。発車まで15分あるので、気になっていたフレッシュジュース屋に行ってみる。まだ学生だろうか、エキゾチックな顔立ちの快活な女の子が一生懸命作っ てくれた生ジュースは、それは大層美味であった。
 ジュース屋で鼻の下を伸ばした僕ら(あ、僕だけか)は発車直前の観光列車風バスに飛び乗る。営業しているおじさんと青年は親子のような雰囲気で、青年は 少しぶっきらぼうだけど発車直前にわざわざ僕のところに来て、何か言っている。何度か聞き返してようやく理解したところでは、「案内放送はハンガリー語と ドイツ語だからおそらく分からないと思う。申し訳ないが了解してほしい」とのこと。面倒見のいい奴で、ぶっきらぼうなのは単にシャイなのだ。5両編成の 「列車」は意外にスピードが出る。旧市街を一回りして郊外に行くとジョルナイの大きな工場があり、下町のような雑多なエリアもあれば、山の上の方は別荘地 のようになっていた。そんな景色を眺めつつ、生ジュースを飲んでいるうちに約40分の市内観光はあっという間に終わってしまった。


ジュース屋で一息♪

ハンガリーと言えばワインが有名だが、この地域ハンガリーでも有名な赤ワインの産地だそうだ。そういえば広 場には、ちょっと本格的な雰囲気のワイン屋さんがある。そして店員さんはどうも美人のようだ。妻が気を利かせて「行ってみる?」と言うので、「え、まあ、 ワインも見たいね、うん」と、行ってみた。ドアを開けると、モデルみたいな店員さんがクールに微笑む。ちょっと取っ付きにくく感じたが、さばさばした性格 で、こちらの意味不明な質問にも正面から優しく答えてくれた。ハンガリーの赤ワインは幅が広く、カベルネソービニョン、メルロ、ピノノワール、カベルネフ ランなど定番品種は一通りそろえた上で、ポルトギーザーなど地域オリジナルの品種もある。せっかくだからこの地域らしいものをということで、ポルトギー ザーのワインを1本買ってみた。部屋に帰って飲んでみたが、最初は独特の香りがあり硬い印象だけど、時間がたつとミネラル分のあるしっかりした味が浮か び、舌になじんで甘みさえ感じられる。一言で言うと・・・「あの店員さんみたいなワインだった」と言っておきたい。

 調子に乗って、店員さんにこの町でワインと料理を美味しく楽しめる店を聞いてみた。観光案内でもらった「ペーチガストロノミー連盟」みたいな冊子に載っ ていた店を全て駄目出しし、彼女はいくつかの店を教えてくれた。で、一番のお勧めの店に行ってみると、なんとイタリアン。考えてみると、この町には「ハン ガリー料理」というジャンルの店が見当たらない。このこだわりのなさは、我が祖国日本と通じるものがあるかも、などと思ったが、考えてみればクロアチアは 目と鼻の先で、そのクロアチアからアドリア海を渡ればすぐイタリアだ。このあたりではこれが普通なのかもしれない。いずれにしろ、そのイタリアンレストラ ンは雰囲気もあり、美味しそうだったので、そこで昼ご飯にした。パプリカの効いたハンガリー風ピザと鶏のグリルはいずれも実に美味しく、彼女のアドバイス は決して「テキトー」ではなかったようである。

 ちなみに、決して「ハンガリー料理」が存在しないわけではない。パプリカを使った料理や肉のスープ「グイヤーシュ」などはあちこちの店で見かける。単に 「ハンガリー料理店」がこの街にはないということらしい。あるいは、どこでもそれなりにあるのが普通というべきか。


ボリューム満点!

歩ける範囲にシナゴーグがあるので行ってみた。ユダヤ教の寺院と言えばいいのか。祭壇があり、立派な建物だ が中身は質素でおごそかな雰囲気。「偶像」は置いていないが、森羅万象を感じさせるドームが印象的だ。黒い法衣と帽子の陽気な司祭(ラビと言えばいいのだ ろうか)が色々と教えてくれたところによると、昔はユダヤ人もたくさん住んでおり、一番多いときは5000人を超えていた。しかし第二次世界大戦から減少 し、200人程度になってしまった。100人以上が座れる木の椅子が寂しそうだ。この椅子が埋まることは、もうないかもしれない。
 この街にはシナゴーグのほかに、カテドラル、モスク、さらに世界遺産の初期キリスト教寺院跡と、まるでヨーロッパ宗教博物館の様相を呈している。広場に そびえるモスクに入ってみると、外見はモスクだが中身は教会。モスクに特徴的な球体のドームにはキリスト教の聖人が描かれ、何とも不思議な空間になってい た。もともと教会があったところ、オスマン時代に取り壊されて同じ敷地にモスクが建設され、ハプスブルグがオスマンを追い出したのち、モスクが教会に改装 されたとのこと。ハンガリー支配者の変遷と運命を共にしている建物、ということか・・


シナゴーグ

僕らが旅行したのはちょうどロンドン五輪の時期だった。「なでしこジャパン」の決勝トーナメント第1戦まで は日本で見て、続きはハンガリーで見られると思っていたが、来てみるとレストランのテレビでやっているのは何故か水球とハンドボールばかり。仕方なく、水 球とハンドボールを他の客と一緒に見ることが多かった。どちらのスポーツも普段は見ないのでよく分からないが、ハンガリーチームは極めて粘り強く、決して 勝負を諦めない感じがあった。いつも途中まで負けているのだが、試合の後半で粘りを見せて逆転したり、あわやというところまで追い上げたり。見ていると、 つい応援したくなる戦いぶりだった。周りにいるハンガリー人たちは、試合を一度見始めると最後までじっと眺めている人が多い。あまり騒がず、静かに、しか し心の中は熱くなっているのが分かる、そんな感じで。
 考えてみると、ハンガリー人は実は「マジャール人」という「アジア系」の人種で、ゲルマン、ラテンなど、ヨーロッパの他の民族のどことも違うのである。 人口の約1000万人は、マジャール人のほぼ全てと思われるが、ゲルマン人やスラブ人に比べて圧倒的に少ない人口と言えるだろう。国家の興亡が激しいヨー ロッパのど真ん中に陣取って、オスマンやオーストリア、ナチス、ソ連と、色々な勢力の傘下に入りながら、今まで文化的、政治的な独立性を確保してきた民族 である。ハプスブルグ時代は「二重帝国」として「ハンガリー」の国名を残した。ソ連時代、ブダペストは唯一西側から自由に出入りできる都市だったとか。こ の国が「1000年王国」と呼ばれるゆえんを、ハンガリーナショナルチームの戦いぶりに垣間見たような気がした。

 こんな感じで、僕らはのんびりとペーチの4日間を過ごした。バスでハルカーニの温泉に行ったり、ジョルナイの店を冷やかしたりしながら、暑ければ日陰で くつろぎ、夕方からワインを飲んで過ごした。大陸を吹く風は昼間は熱く、夜は涼しかった。空は、昼間は青く、夜は濃紺で、いつも澄んでいた。手の込んだ料 理を食べる機会はなかったが、どこで何を食べてもシンプルでおいしかった。何より、いい加減な対応をされて腹を立てることがなかった。ぱっと見はヨーロッ パの普通の国と同じに見える景色や生活の中に、時折見える「ハンガリーらしさ」。それは派手に目立ってあるものではなく、さりげなく、人々の生活の中に溶 け込んでいた。垣間見える異質性。大昔から変わらず残っているものというよりは、長い歴史の中で削られて磨かれて残った結晶のようなものなのかも知れない と思った。
 ヨーロッパの孤塁ともいえるこの国と、極東の島国は意外に似ているのかもしれない。この次にハンガリーに行けるのはいつになるか分からないけど、もう一度ゆっくりと行ってみたい。